日月星辰ブログ

Vive hodie.

ポエム<散文<オヤジ論説文

 同じ事を書くにしても、ポエムにするととたんに寒くなりますよね。
 例:私はまるでピエロだった。(散文)→私はピエロ(ポエム調)
 例:街は、夕刻を過ぎ、所謂黄昏時と呼べる時刻となった→街は黄昏

 ピエロとか黄昏とか、くさい言葉を殊更に選んでなにやらわざとくさいが、街にでも出かけて、いろいろな事物でポエムってみ、その後散文に直してみると、結構この法則、当てはまったりすると思う。
 あらためて詩人という人々はすごいと思う。ポエムって恥ずかしくない、むしろ美しい言葉をつむげるのだ。

 ポエム調を寒いと感じるのは私が最早ポエムを受け付けないほどすかしているからかもしれない。寧ろ「まるでピエロだった」のほうがダサい、という向きもあるかもしれないのをあえて見ないふりしているだけなのかも知れないのであるが、まあとにかくそれはおいておいて。
 文章の世界ではことちょっとオヤジくさいほうがかっこいい、と私は思う。
 下手に、ファッション雑誌の服の写真の横についているような、「春風のような黄緑のスカーフをあしらって。」とか言って「て」止めしたりすると、途端にさむーくなるのは…やはり私だけかもしれない。
 そんな私は、「泣き出してしまいそうなほどに切なくて。」みたいな、萌え小説なんかによく出てくる「て」止めも苦手です。
 賛同者求む。