日月星辰ブログ

Vive hodie.

世間では様々なことが起こっているものと思いますが、一日有給をいただきます

2年ほど苦楽を共にしたiPhoneがいよいよバッテリーがやばくなってきて、なんか見るやつで見ても残量が75パーセントとか。

恐ろしき残業天国から解放された直後のこのタイミングが最適だろうと思い、ジーニアスバーの予約を取った。もう平日でいいし取れたら1日休んでやる!という意気込みと共に。f:id:lubu:20181107122955j:image

二時間ほどiPhoneを取り上げられるらしいので、早めに行って銀座を物色して回った。お昼は創業明治28年という煉瓦亭で食べたい。お皿を撮れないのは残念だが、まずは下調べである。

ランチ1000円というから安心…

この界隈には少し前まで白いばらがあったようだ。

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社交の殿堂……。

ちょうど今日はiPad Proの発売日だったせいか、めちゃくちゃ行列ができていた。そういうのに並ぶ趣味はない(だって予約できるのに……)し、飛び込みでジーニアスバーとかなに考えてんだ、というタイプなんで。

 

何はともあれ、電池の交換には2時間を要すると言われて、iPhone無しでお食事に出る。食べたのはさっき写真載せた煉瓦亭。となりのラーメン屋にまた列ができているが、わたしは創業明治28年の味が食べたいん!だ!

 

ABCラーメンとかにも行列ができていた。銀座。不思議すぎる。

 

ポークカツレツは写真は撮れなかったがかなり肉が良くて、サクサクでとても美味しかった。ソースをかけるシステム(あらかじめかかってない)のも点数高い。ウスターソースで美味しくいただける料理。

あとパンはフランスパンだった。メニューにはオムライスとかナポリタンもあり、一度食べてみたい、という欲が募る。

 

どんなにまったり食べても洋食に2時間はかからないので、今度は贅沢はよしてルノワールに行った。何気にルノアールのコーヒーは高い。知ってる。しかしそんじょそこらの喫茶店より絶対にコーヒーは美味しい。

ルノアールの業績は手堅く良いらしいが、わかるもんね。ケーキとか軽食に工夫はないし回転悪くても、コーヒー屋はやっぱ、コーヒーすよ。

 

同人の寄稿原稿も進めた。なかなか進んだしプロットはすんなり決まったので、あとは書くだけ……

 

で、一度取りに帰ったところ、本体が電池残量を正しく認識してないとか言われてさらに20分待った。帰る頃には日が暮れかけてて、今日全休にしといてよかった、と思った。

バッテリーを満タンにしてお返しできる時間がなくって、申し訳ございません、とアップルのお姉さんは言った。確かに受け取った時には充電はすでに15パーセントしか残っていなかった。が、それにしたって。

 

めっちゃ充電減るの早いんですけど。

 

正直、一日仕事になるこれをもう一度は、やりたくない…電源がヘタれるまで使うな? アップルの企業理念には資源を大切に、ゴミを少なくも入ってるだろ? 下取りサービスなんかでごまかしたらあかん。私は前世紀生まれの人間として持ち物はとことん最後まで使う。使うったら使うんだい。

 

5日の保障期間のうちにどうにもならなかったらまた行くわ…。

 

 

 

 

WEBサービスはちまちまとサグラダファミリアを立てるが如し

なのかも知れない。

 

突貫で作ったサイトの表示がー 崩れがー スマホ的化がー とかいう苦しみにかねてからJPニックの尖兵みたいなジョーシが、「結局シンプルHTMLこそ正義」とか言い出してえーとなっていた。

 

他のサービスはどうしてるよ。日進月歩に開発進めて、マイナーチェンジマイナーチェンジしてるんじゃないのか。

そもそもうち、開発ギョー者じゃねえし!

 

(本当に全く違う業種です)

 

 さらに上のジョーシが内製バカチンで、本当にしょうもないんだけど、外部委託外部委託で気苦労を知らないのもまあやな感じだし、適度に内製で作ってみるってのはいいのかも知れないけどさ。

 

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まあ本業ばかりでも食えぬ世の中よ……

ラーメンは美味しかった。

しばらく空いてしまいました

日々を記録してくといろんなまあ、いいことがあるので、そうしていたのですが、仕事が尋常じゃなく立て込んできたため、しばらく休んでいました。

 

降りかかる「記念日キャンペーン対応」! 監修物の嵐!(職務柄そういうのやってます)、そして、WEBサイトリニューアルの地獄!

 

とにかくサイトは情報量が多いので、私が担当した項目だけでも、とても一人ではできません。仕方なくバイトにいくつか任せたら、そこを中心にポカが続出! まあ私もいくつかポカしてましたけど。

 

2日から3日にかけて会社に泊まり込み、二十四時間在勤したが、「完了」を見届けぬまま力尽きて帰りました。いや嘘。午前中に帰りたかっただけ。

 

その後、同人誌関連も寄稿文ができてなかったのでサドンデスで追い込み!

 

土曜日の昼はほぼ寝て過ごしました。

日曜日になったから美容院行ったよ。

忙中

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早死にした作家について考えていた。

というのも、ツイッターで文豪ビンゴとかいうものが回ってきて、開高が入っていて大江が入ってなかったからである。

ビンゴ製作者的には、「大江は生きてるから文豪じゃない、ということなのかもしれない。じゃー、文豪というのは戒名の一種か。

確かに、戒名というのは生前どんな半端な人間でも、お金を払うと割に素敵なのをつけてもらえるらしい。殉職軍人は階級特進する。なら物書きは作家に、作家は文豪に出世してもおかしくはないか。

開高健は60で亡くなった。同世代のなかでは割に早く亡くなった方ではないかと思う。鬱で死にそうになったとか、そういうことをちょくちょく書いているけど、死因は胃がんだということだ。

やっぱ、若い頃に戦場などに言って、極度の緊張を強いられたりすると寿命が縮むんだろうか。いや、サントリーの広告マンでもあり、お酒もタバコも大好きという生活習慣が原因だろうか、など色々考えたけど、まあ人のことだから下衆の勘ぐりである。やめよう。

そういえば手塚治虫も60で亡くなっていたな、手塚の場合はぜったい働きすぎだ、死因は同じく胃がんと聞いている。手塚のお酒やタバコの習慣がどうだったのかは知らないが、、無茶苦茶な働き方については様々な本で読んだ。

お酒とタバコも、働きすぎも体に悪いんだな…と思った。

長時間身体を縦にしてるだけで、なんとなく疲れて来る。できれば寝転んで仕事できればいいのにと思う。背筋のあたりがしんどくなってきて、足がむくむ。頭がフラフラして来る。人間は縦にして生きていけるように開発されたどうぶつには違いないが、やはりまだ、縦になっていささか日が浅い。最適化されてるかというと、そうでもなさげである。四つん這いの方が多分、循環器的には楽だ。もっというと、蛇のように寝転んだ方が楽だ。

お酒を飲んでもあやっぱり足がむくんで、頭がクラクラして来る。お酒についても嗜むようになって日が浅い。まだ最適化まではいってないようだ。

このまま縦へ最適化するか。

あるいは蛇のように寝転ぶ道を選ぶか。

酒を飲むか、飲まないか。

アダムとなるか、蛇となるか。

中間をとって、りんごという道もある。

 

追い詰められると変なものに手を出す。

割と、精神的には強い方だ。

いや、周りが弱い人ばかりだっただけかもしれない。それから必要以上に使命感とか、責任感を持たないようにしてるというだけかもしれない。

シリアの武装勢力に捕まったスペイン人ジャーナリストのインタビューに、「体験を冒険小説ふうに認めて心の支えにした」(そのノートものちにテロリストに取り上げられる)という記述があったが、文字をかく、ということそのものに、ある一定の精神安定的な効果がある、という話もある。それにしては、小説家にはしばしば自殺者が多いじゃないか、と思わなくもないが、それはまた別の話なのかもしれない。

 

ご飯を制限されるのもくいしんぼうなので結構なストレスになりそうだが、個人的には時間を制限されるのが一番こたえる。現在相当追い詰められていてそろそろへこたれてきそうなのだが、プロジェクトリーダーが気を使って明るく振舞ってくれるので救いがある。そんな中、変なゲームにハマってしまった。いわゆるキャンディクラッシュ系のサードパーティー、悪くいえばイタダキ、パクリ系ゲーム。海外のやつだ。

 

原稿で修羅場を迎えると昔から妙なものにハマるくせがあり、どうも自らの仕事に真剣に向き合わない嫌いがある、と昔から思っている。今も割とその辺り変わってなくて自分でいやになる。自分が自主的に何かやる、純粋に、内的動機だけで、という日常を暮らしていれば、つまりは主体的にひび生活していれば、疲れは感じないし有意義な人生と言えるのかもしれない。純粋に独立目的的、主体活動ってなんだろう、と思ってそういえばそういうやつ、全然できてねえやと思って愕然とした。同人だってまあ、原作ありきの依存的活動には違いない。楽器を引くのも、主体的と言えるかどうかというと甚だ怪しい。

なるべく人に依存せず、健やかにいきたいと思っているときに限って、変なものに依存する。ハマる。タバコを吸ったり、酒を飲んだりして中毒になるってのはこういうことかなと思う。

 

キャンディクラッシュだけど。

 

さんまが美味しい

日曜日にさんまを、二尾298円で買った。

一人暮らしだと二尾を一気に消費は難しい。消費期限をみると月曜まで持ちそうなことが書いてある。実家暮らしから出てすぐの頃は、魚を、とりわけ青い魚を買ってから1日置くなんてとんでもないことだと思っていたが、もう慣れた。

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日曜日、月曜日と同じくサンマを食べた。自分で買って焼くのは今年初。お値段は例年通りである。

タイムセールのアナウンスが少し中国訛りの日本語だった。タイムセールアナウンスをすると言うことはきっと責任者なんだな。

スーパーの人とか、コンビニの人とか、もう外国人がいないとなり立たなくなっている、ときく。逆に言うと、とんでもなく不利な条件で労働させられているのではないか、と心配にもなる。

およそ10年前に、中国に旅行に行ったことがある。とにかくあの広大な土地が、畑、畑、畑になっている。安徽省にでかい「動漫地区」とか言うものがあり、からのビルがボンボン立っていたのを、覚えている。都市のすぐ近くに原子力発電所が、のっそりとそびえている。先入観か、何やらその辺りだノッと暗い気持ちが立ち込めるようでもあった。徐州の駅前の、農村部から出稼ぎにきたらしい、家財の一切合切を風呂敷につめた家族づれの群、合肥の公園の物乞いの少年、列車に無言で詰めかける人、人、人…。

少しは様子も変わったろうか。あまり変わっていないのだろうか。

 

努力の効用は効用として

 昨日、努力した方が正比例して評価ももらえる素晴らしい世界について語ったのだけれども、基本的に私は日々の雑感を非常にゆるく綴っていく場として捉えているので、気まぐれにコストをかけたりかけなかったりするのが好き。

 昨日まで奇妙な天気で、特に昨日は夜に突然大雨が降り出して雷がなり、大変だったのだが、今日はすっかりからりと晴れて平穏な日曜日だ。

 洗濯物を渋々いくつか片付ける。今使っている洗濯機が非常にチャチで、小さなやつなので、少しずつしか洗えない。シンプルライフでいいかなと言ってもこれはシンプルすぎる。

 しかも今日び見ない二層式。

 先日、脱水槽がいきなり壊れて修理に出して大変だったのよ、というような話を親にしたら、にべもなく「全自動買いなよ」と言われたやつ。

 戦直後生まれぐらいの世代に言われると何か刺さるものがある。

 私と二層式の歴史は、以前の物件住まいの頃まで遡る。今から約6年ほど前の話だ。

 当時の住処は今とは比べ物にならないぐらい狭かった。今は2DK、南向き。荒川は越すが広くて快適。

 昔住んでいたところはまあ鉄筋物件だが、とにかく狭い。居住スペースは5畳ちょっとしかない。

 そこに大量の本と一緒にいろんなものを押し込んで住んでいた。今考えると無茶してたなと思うのだけれども、流行りのミニマリストにはいいところかも、しれない。

 炊事はちっちゃい電熱器でやることになるし、キッチンワゴンをおいたら体を横にしないと玄関に出られない。今よりもさらに無駄なものかいだめ癖があったので、本当にすみづらかった。

 その頃の家についていた洗濯槽置場が、2層式対応だったわけである。

 全自動を置くと扉が閉まらない。しょうがないから二層式で乗り切ったが、まあ、仕事もしてて上手く回るわけ、ないよね。

 たまらなくなってここに越してきたわけだが、今度はこの物件では、洗濯機が外おきだった。

 高価な洗濯機なんて買いたくもないわ、とそのままにして幾星霜。

 いや、6年ほどが経った頃、流石に限界まで汚れてしまい、先代は廃棄となる。

 さてじゃあ、洗濯機のない生活をしばらく楽しむか、などとまた詮無いことを考え、洗濯板を買ったりしてしのいでいたが、流石にちょっとは、と思って今の洗濯機を買い求めた。

 ちなみにこれ。

 

 9800円なんですよこの子。ただよくスペックを見て欲しい、2.8キロマックス。しかしべつにスペックそのものには不満はない。自分でも運べる洗濯機、その一点で選んだとも言える。

 一人暮らしだし、服にあまり興味ないし、とか言ってこんなものを買ったが、一人暮らしだと毎日洗濯をしないということにいつ頃から気づいていた? まだ気づいてない? ダメだなもう。

 壊れて修理に出している頃はマジで手洗いのみで乗り切っていたが、そうすると私生活が圧迫される。いや、楽しいんだけどね手洗い。

 今でもたまに手洗いはする。靴下とか、お風呂の前にさっと洗えばすみそうなやつはそのほうが早い。ベランダに出るのが億劫なことの方が多いから、結構洗濯板は使えると思う。でもなあ。

 贅沢しない暮らしってのは、「お金を贅沢しない」暮らしと、「時間を贅沢しない」暮らしってのがあって、とあるお金持ちは著書の中で「時間をお金で買うというのは、寿命を買うようなものである」と喝破していたな、とか思い出した。その人はあまりに時間に気を使いすぎて、「食器を洗うのは時間の浪費である」とし、使い捨ての食器を使うようにしたらいきなりQOLが下がったみたいなことを言っていて、それはそれで極端やなあ、と思ったんだけども。

じゃ、「どのような時間の使い方が清貧的な時間の使い方か」って言われるとなかなかこれが答えが難しい。人の役に立つことを常にやっているのが、多分一番無駄使いしてない感じだろうな、とは思う。

ブッダは悟りを開いたのち、まさに時間を惜しんでそれを人に解き回ることをブラフマンに課せられた、というのを手塚治虫の漫画で読んだが、それは究極の寿命の使い方だとしてさ。

我々にできる、「滋養に満ちた、誠実な時間の使い方」って、なんだろ。